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フォルクスワーゲン ビートルType1

投稿者:雷さま
作成日:2022/12/13 17:06

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この、世代を超えて愛され続ける「VW(フォルクスワーゲン)ビートル」…普通のクルマと異なり、後ろにエンジンを設置、まるで昆虫の外骨格のごとく全てを逆転の発想から作り上げたクルマの天才=偉人こそ、かの「フェルディナント・ポルシェ博士」である。

名前のとおり、あの名車「ポルシェ」の生みの親という認識を、皆さまお持ちでしょうが、実は大量生産型のクルマ第1号のFordに対抗して、なんとか市民に安価で行き渡るドイツ製のクルマを造れないか…と試行錯誤した方(息子さんとともに)です。

しかし、時代の流れは残酷で、当時ドイツは宣戦布告をしたばかり、で、独裁者ヒトラーに「故障しても手軽に治せるカンタンなクルマを造れ、ポルシェ博士!」と命ぜられ、で 出来上がったのが、戦争映画やミリタリーファンにはおなじみの「キューベルワーゲン」や、その派生型=水陸両用の「シュビムワーゲン」らの名車。もちろんエンジン=後にあるタイプ。

これがまたメチャクチャ良く出来ていて、それこそドイツ軍あるところに「キューベルワーゲン」「シュビムワーゲン」がゴッソリと出てくる。米軍のウィリスジープと肩を並べるくらいの質と量だったとか。

そして、独裁者はこれに飽き足らず、ポルシェ博士に「戦車も造れ!」との御通達が。で、出来上がったのが、自身の名前をつけた「フェルディナント」…いや、「エレファント」と言った方が解りやすいか。

この戦車、とにかく時期が終戦=敗戦の間近に完成したから、たいした活躍もせずに連合軍に捕獲されまくった。また博士は、Ⅵ号戦車の2型である「キングタイガー」の砲塔部分をも設計担当。ヘンシェル型とポルシェ型という2種の砲塔があるキングタイガー=これも誕生が遅すぎた&ヘンシェル型のほうが多くつくられた。なんかポルシェ博士は名戦車を編み出すセンス=無かったのかも。

終戦(敗戦)後、ポルシェ博士は連合軍によって逮捕・監禁・裁判を受ける。「仕方なかった。ヒトラーという独裁者の命令を聞いたのだから。」と、連合軍らに憤る息子さんに悟って聞かせたとか。

釈放後、元来の目標であった「市民に安価で行き渡るドイツ製のクルマを造る!」という夢(目標)を息子さんとともに叶えるべく東奔西走し、そして出来上がったのが、この「フォルクス=市民の」「ワーゲン=クルマ」=フォルクスワーゲンだった、という訳です。

フォルクスワーゲンとは、市民のための車を作ろうという意味が込められているのだ。

このカブトムシのような名車は、およそ65年間に渡って基本デザインを変えずに生産されてきました。

累計生産台数「2152万9464台」とされ、世界最大を誇っています。

空気で冷却するエンジンのため、空冷ワーゲンとも呼ばれる。ドイツで生産が始まり、後にメキシコでも作られるようになります。

車といえばこれ!というような愛らしい形、現代では珍しくなった三角窓など、特徴を上げればキリがない。

しかし、実は年代によって並べてみるとかなり差異があります。

窓の形やテールランプの違い。バンパーも国の基準によって変わるものもある。

分かりやすいのは、リアウィンドウだ。

リアウィンドウは現代車と比べると、非常に小さい。これはガラスを製造する技術が、まだ未熟だったことによる。

それがスプリットウィンドウ、オーバルウィンドウと変化していき、スモールウィンドウ、ラージウィンドウと、だんだん現代車に近づいていく。

オーバルウィンドウがビートル愛好者の間でも人気が高い。ただ、値段も年々高くなっており、中古市場では数百万するものも珍しくなくなっている。

すでに生産終了しているもののため、価格が上がっていくのも仕方ない面はある。

写真は、1966年製のものを元にしたビートルのミニカーである。ボディが赤で、フェンダーが黒なのが大きな特徴である。

これは、ビートルのフェンダーは、ボルトで簡単に固定してあるだけであり、取り外しが容易であった。

そのため色違いのフェンダーを交換するのが、簡単なカスタムとして流行したことがあったのだ。

現代のビートル乗りにはあまり見られないカスタムだが、当時の時代を映し出した一品といえるでしょう。

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